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6.ヴェネト州の魅力とは

ヴェネト州の特色

アドリア海に面し、北をオーストリアと接する。
古代にはインド・ヨーロッパ語族に属する言語を話すウェネティイ族が居住し、ヴェネトの名はこの民族に由来する。

この地域はロンゴバルド族や、フランク王国などの支配を受けた地域の他に、7世紀には共和制が出来上がっていたヴェネツィアが大いに経済的な力を発展させており、14世紀から15世紀には東側から共和国の一部としてまとまりながら一時はブレーシャやベルガモ、クレモナなども支配、地中海沿岸を制する大国となった。その後、喜望峰の発見などにより中継貿易の拠点としての地位は弱まっていったものの、パトロンとして数々の芸術、科学に大きく貢献した。

世界遺産の水の都ヴェネツィアをはじめ、古代遺跡アレーナでの夏のオペラやロミオとジュリエットの街として有名な世界遺産の街ヴェローナ、建築家パッラーディオの建物が世界遺産に登録されている美しいヴィチェンツァ、世界遺産の植物園がある歴史と大学の街パドヴァ、運河の街トレヴィーゾ、食後酒で有名なバッサーノ・デル・グラッパ、人間チェスゲームが開催されるマロスティカ等歴史と文化にあふれた街が州内に点在している。
州の北部にはドロミーティ・アルプスがひろがり、コルティーナ・ダンペッツォに代表される山岳リゾート地の他、アーバノ・テルメ等の温泉等、人気のリゾート地が豊富である。

州都 ヴェネツィア

「アドリア海の女王」、「水の都」、「アドリア海の真珠」などと称される、アドリア海の最深部、ヴェネツィア湾にできた潟、ラグーナの上に築かれた、運河が縦横に走る水の都である。
ヴェネツィア共和国として輝かしい歴史をもち、街全体と潟が世界遺産に登録されている。

ヴェネツィア本島は大きな魚のような形をしており、その真ん中を逆S字形に大運河(カナル・グランデ)が流れている。また、島のあちこちを細い運河が流れており、本島全体が小さな島々から出来ているように見せている。運河には大小の無数の橋がかかっており、また地上には狭い道路が迷路のように巡っている。

かつては海上に浮かぶ孤島であったが、1846年にイタリア本土との間に鉄道が敷かれ、後に自動車用道路のリベルタ橋が架けられ、イタリア本土と地続きになっている。ただし、ヴェネツィア本島内は車での移動は禁止(自転車を含む。乳母車、車椅子は可)されているため、自家用車はリベルタ橋をわたったすぐにある「ローマ広場」の駐車場に置いて、島内を徒歩か船舶で移動することになる。
主な交通機関は必然的に船になり、水上路線バスのヴァポレットや水上タクシーのモトスカーフィ、大運河の岸と岸を渡る渡し舟トラゲットが、大運河、および、ヴェネツィア湾内を縦横無尽に走っている。ゴンドラは、現在では観光用途でのみ運行されている。
大潮、気圧の変化、そして、アドリア海を南から吹く風シロッコの3つの要因が重なると、アクア・アルタと呼ばれる高潮が起こり、特に一番低いサン・マルコ広場は水没する。

この地方に位置する都市ヴェネツィアは都市国家ヴェネツィア共和国として、アドリア海の海上交通を掌握し、ラグーナによって陸からの進攻から比較的安全だったこともあり、中世を通じて独立を保ち、イスラム圏とヨーロッパの中継貿易により、海上国家として繁栄した。最盛期にはパドヴァやベルガモなどの内陸の都市を勢力下におくだけでなく、キプロス島、クレタ島なども領有して栄えた。
しかしナポレオン・ボナパルトに攻略されてヴェネツィアは滅び、後に条約によりベルギーの領有権と交換にオーストリア領となった。

第三次イタリア独立戦争(1866年)の初期にオーストリア=ハンガリー帝国から分離されて、イタリア王国に統合された。

観光都市として人気が高く、黄金のモザイクが威厳を放つサン・マルコ大聖堂、ドゥカーレ宮殿や鐘楼のあるサン・マルコ広場、溜息の橋、ヴェネツィア派絵画の多いアカデミア美術館、大運河沿いの館カ・ドーロやリアルト橋、サンティッシマ・ジョヴァンニ・エ・パオロ教会やサンタ・マリア・デッラ・サルーテ教会など、町並みすべてが見所といっても過言ではない。
運河をゴンドラが行き交う姿は旅情を誘い、仮面が印象的なカーニバルや歴史的レガッタ、映画祭、ビエンナーレ等のイベントも世界的に有名である。

世界遺産

ヴェネツィアとその潟
ヴェローナ市
ヴィチェンツァ市街とヴェネト地方のパッラーディオ様式の邸宅群
パドヴァの植物園(オルト・ボタニコ)